凱都のブログ

いつか点と点がつながることを信じて。

子どもに戻りたい???

こないだ見ている子どもにこう言われた。

「大人になんかなりたくない」

 

なんかグサッときた。。

 

そして大人の良く言うフレーズ

「子どもの頃に戻りたいな〜」

 

おそらく多くの成人の方々が思ったことがあると思うし、自分自身もそう感じることは多々ある。

 

友達なんかと「あの時〇〇が△して、おもろかったよな〜」とか「あの試合のあのゴールの瞬間忘れられないよな〜」みたいな昔話は、懐かしく、とても心踊るものだ。あっという間に時間は過ぎるし、昔に戻ったような気分になる。

 

些細な笑い話から、劇的なゴール(これも狭い世界かもしれないが笑)まで、別にどんなことでもいいから、振り返られるような出来事を共有できたことは、人生を豊かにしてくれるものだと思う。

 

でも今回言いたいのはこの2つのフレーズから、子どもが人生のピークであるのが当たり前だと思ってしまっている状況のこと。

それに自分は違和感と危機感を感じているということ。

 

 

年を取る、つまり大人になるということは、本来はたくさんの経験をし、知識と知恵を身につけることであると思う。時間をかけて、少しずつ自分と社会のことを理解していく。その中で自分はなにをするべきかわかり、日々に価値がでる。価値が出るというと大げさかもしれないが、意外と面白いんじゃないかなと思う。

だからこそ年を取るにつれて、つまらなくなるような人生はどこかで間違っているのではないかと自分は思う。

 

自分の考えるその原因は「自分を知らないこと」

自分が何をしたいのか、何をしたらいいのかがわからない。つまり自分の中の判断基準がぐちゃぐちゃなんだと思う。だから毎日が退屈でつまらなくなってしまうと自分は思う。

 

 

 

人は毎日9000回も決断をしているというデータが出ている。

その9000回の決断の理由が、

「みんながそうだから」とか、

「おすすめだから」とか、

「流行だから」とか

自分の判断基準のない、周りに流されてばかりの決断で埋め尽くされてる1日は、毎日は、人生はただ漠然としたものなんだと思う。

 

自分は自分の中の判断基準に照らし合わせて決断したり、直感を信じて決断したりする人生にしたいし、歳を取れば取るほど面白くなる人生にしたい。

 

こんなことを言っておきながら、自分の判断基準が明確じゃないと思う瞬間は多い。なにか言いたいけど、なにをいったらいいかわからない時がよくあるからだ。それはたぶん判断基準が明確じゃないから、言えないだけだと思う。判断基準というフィルターがあれば、それを通すだけで、自然と意見は出てくるはずだから。まだまだ若造だということである。

 

こんな話をしてきたけど、これが理想論なのもわかっている。年を取れば、責任も出てくるし、しがらみもそれなりにでてくるだろう。

 

それでも、理想を追いかけるのが、自分だし、それも自分の中の1つの判断基準なんだと思う。

 

教育にかかわっている身としては、子どもたちが「大人になりたくない」という言葉ではなく、「早く大人になりたい」「大人もけっこう楽しそうだな」と言ってもらえるようにしたいなと思う今この頃。