加害者か?被害者か?それとも‥
世の中には残念なことや卑劣なことが多々起こっている。
そして世間一般的に多くの加害者が生まれている。
ただ果たして全員が加害者なのだろうか??
SNSで叩かれて亡くなる人がいる。叩いた人は加害者なのか?
犯罪を犯してしまった人がいる。犯罪を犯してしまった人は加害者なのか?
いじめを受けて亡くなった子たちがいる。いじめをした子たちは加害者なのか?
僕はどれも加害者だと思うし、それに見合った重い罰を受けるべきだと思う。
ただその人たちは加害者なのは間違いないが、この中には被害者でもあるような人がいるのではないだろうか??
この中には虐待されて育った人。発達障害があったのに、それに見合ったサポートが受けられず、常に馬鹿にされて育った人。能力はあるのに会社でその能力を発揮できずにいる人。そういう様々な背景があるし、背景を知ると同情したくなることもあるし、加害者ではなく、被害者なんじゃないだろうか?と感じてしまう時もある。
だからと言って許されるべきだとは思わないけど、罪を犯した人全員が全員悪人じゃないと思うし、「そんなことするやつは全員処刑してしまえ!!」というような考えにはならないというか、そういう考えには素直に首を縦に振れない。
ある人をSNSで叩いて自殺に追い込んだ人を、また叩いていては同じことの繰り返し。何の解決にもならない。犯罪者を、「くそ野郎だ、殺してしまえ!」と背景も知らずに言っていても、何の解決にもならない。いじめをしていた子どもに「いじめはよくない!なんでわからないんだ!」と言っても怒鳴りつけても、多少効果はあるだろうけど、根本的な解決にはならない。
そんなことよりも、背景にまで目を向け、想像力を働かせて、不満の原因を探り、これから同じようなことが起きないように努力する。例えばそのような不満を抱えている人からその不満を取り除く、減らすようなサポートをしたり、そういったことをSNSで発信したり、そもそもそのような不満が起きないような、子どもの時からのサポート体制を作ったりする方がいいのではないだろうか??そういった風なことを考え、つながり、発信していくことは、このような問題を起こしている人の主な原因の不満の解消やいきがいにはつながらないだろうか??
最後にもう一度強調して言うけど、犯罪のように人を苦しめたら、どんな理由や背景があろうと、罰せられるべきだし批判されて当然だと思う。でもまずその批判するのであれば、批判するのは自己満足(ストレス発散とか)ではないかと自分に問いかけるべきではないだろうか?そしてなによりも批判するだけでは先に進めない。背景を知ろうとするところからまずはじめていったらいいんじゃないか??そしたらもっとよくなるんじゃないか??そんな風に感じる今この頃。
そんな風に思うのは伊坂幸太郎さんの作品が好きだからかもしれません。
おすすめは、『サブマリン』『重力ピエロ』そして新刊の『逆ソクラテス』です。
興味がある人はぜひ!