凱都のブログ

いつか点と点がつながることを信じて。

東南アジア3週間の旅から

少し経ってしまったんだけど、3週間ちょっと東南アジアに行っていた。その中でたくさんの貧しい暮らしを見てきた。特にカンボジアラオスあたりの田舎の方は、道はぼこぼこで、服もけっこう使いこんであるもの。また穴だらけ、埃だらけの家もたくさんあった。でもそんな環境でもこどもたちは楽しそうに遊んでいた。自由に駆け回り、川でも子どもたちだけで泳いでいた。
しかし、少し大きくなった子どもになると、ぐっと笑顔が減ってしまったように自分は感じた。
「なぜだろう?」
自分はこう思う。
 
「外の世界を知ってしまったから」
 
どれだけ貧しくても、びっくりしたことにスマホはどこにでもあった。スマホがあるということはネットにつながっている。つまりいろんなことを知る機会があるということ。また田舎といっても、自分が行ったのは、それなりに観光地であるため、多くの観光客が来ていた。それもまた外の世界を知るきっかけになる。
 
つまり自分たちの生活と一般的に言う先進国との生活を比べてしまうことになるということ。
そしてそのギャップに苦しんでいるように自分は感じた。
 
ルソーの残した言葉にこんなものがある
「不幸は能力と欲望のギャップにある」
 
知ってしまうと欲望を持たずにはいられないと自分は思う。だから外の世界や自分の将来のことを考えるようになってくる年頃の子どもたちの表情はあまりさえていなかったのではないかなと思う。
 
 
しかしそんな羨ましがられている私たち先進国と言われる日本人は、本当に羨ましいくらい幸せなのか?
 
まずはデータから見てみると
世界幸福ランキングで日本は51位、先進国ではビリ。(2017年)
 
なんでこんな結果なのか?
 
 もちろん全員がそうというわけではないけど、日本では多くの人が努力次第であらゆる事を勉強できるし、あらゆる職業に就くこともできる。また買うものも、例えばiphoneケースだけみても、相当な種類があり、選択肢は物凄い数である。
 
それは素晴らしいことで、自分らしく生きる、つまり自分の興味のあることをし、好きなものを買い、生活する事をたくさんの選択肢の中から選ぶことができるということだ。
 
でも 
選択肢があり過ぎて、何をしたらいいかかわからない
欲しいものがあり過ぎる(けど本当に欲しいものなのかは怪しい)
 
ということが起きているからだと思う。
 
だからとりあえみんながこう思っているからこうしようになって、結果「あれ、なんか違うな」になってしまうと自分は思う。
 
特に日本には「出る釘は打たれる」ということわざがあるくらいだから難しいのはわかるけど…団結することは日本のいい面でもあるし…
ここからもそうだけど最近、100%黒や100%白はないな。自分に合った割合を決めることが大切なんだなとよく思う。(話がそれてしまうのでこれはこのくらいにして)
 
まとめていくと自分はこう思う。
 
これから科学はさらにスピードを上げて進歩し、さらに格差が広がり、また選択肢も増える。だからまずは底になってしまっている人たちがもっと人間らしく(この表現がいいかわからないけど)生きられるようになることを願う。そして私たち自身ははちゃんと自分の軸を持つこと。そうしないとたくさんの情報にさらされている私たちはただただ流行に流されるだけになってしまう。選手を引退して、価値観がはっきりしていなかった時に不安で仕方なかったからこそそう思う。まだまだわからないことだらけだけど、その時に比べて、今はだいぶ楽になれた実感があるから。
 
 
またなぜ進歩し、効率化するのかを考えないと、不幸まっしぐらだ。無駄がなくなり、つまらない世界になる。
 
バスで12時間のところをわざわざ1泊2日かけてスローボートでゆったり過ごし、その途中にある素敵な風景を見ながら移動したことが無駄なんて思っていない。翻訳アプリを使えば通じるところを身振り手振りで必死に伝えたことも無駄だとは思っていない。むしろ自分にとっては有名な遺跡を回るよりも、何言っているかわからんけど、なんか分かってもらえたなと思えた瞬間の喜びは大きかったし、すごく楽しく、価値あることだったし、いい思い出になっている。
 
どこの部分でどれだけ無駄を残し、どこの部分をどれだけ効率化するのか?自分に合ったさじ加減を探していきたい。そしてすごく便利で評判もいいけど、自分の価値観に合わないなと感じたら、「そんなもんいらん」と言えるくらいの人になりたいと思う今この頃。
 

f:id:kaigakugei:20180411131241j:plain