凱都のブログ

いつか点と点がつながることを信じて。

多様性について思うこと。

最近「多様性が大切だ」と耳にすることが多かったし、自分自身もそうだと感じているので、そのことについて少し書いていこうと思う。

 

まず多様性とは

 

いろいろな種類や傾向のものがあること。変化に富むこと(goo辞書より)

 

幅広く性質の異なる群が存在すること。 性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる。(Wikipediaより)

 

 

また対義語は画一性

 

何もかも一様で、個性や特徴のないさま。

(goo辞書より)

 

簡単に言うと、幅広く異なる性質の"グループ"があることである。

 

生物多様性はよく聞くが、ここで大切なのは地球上に生き物がたくさんいることではなく、その多様な生き物が”つながっている"ことである。

 

このようにただいろんなものがたくさんあるのではなく、ある特徴のあるグループができること、そしてつながりあうことも多様性に必要なことだとわかる。

 

多様性の概念を一通り抑えたところで、自分の考えを書いていきたい。

 

最近は前にも書いたように、1つのものをとっても、様々な種類があり、選択肢は膨大である。それはものだけでなく、価値観も様々である。

 

それに付随してでてくるものの一つとして、自由があると思う。

 

今はいろいろなことを選べるし、こんな風に自分の思いを表現できる。自分次第で自分の思うように生きられる。それが自由だと思うし、また多くの人が自由への欲望を持っていると思う。

 

しかし現実問題、そう簡単に自由に生きることはできない。それを阻むのは、自分以外の誰かの存在だ。

 

そしてそこに争いが生まれる。

 

自分も思い当たる節があるけれど、自分の考えこそ正しい。あいつの考えは間違っている、と思ってしまい、考えを改めるべきだと思ってしまう。相手もそう思っていることだってあるし、逆に考えを改めろ押し付けられることに腹をたてる。こういう経験はたくさんしたし、これからもあるだろう。でもこういったことからなにも生まれないし、すごく勿体無いことだと思うから、できるだけ避けたい。

 

 

なにが言いたいかと言うと、自由だからといって、なにをしてもいいと言うわけではないということ。他人に不愉快なことを感じさせてはいけない。そのためにお互いがお互いに気をつけ合うこと、そして自分の考えは納得させようではなく、新しい考えを一緒に作ること(時にまったく考えが合わない時があるかもしれないが、その時は互いに干渉し合わないこと)が大切だと思う。

 

多様性があることで個人個人がそれぞれ自分に合う場所を見つけられ、そこでその人らしく生活することができる。その中で異なるもの同士が認め合えるようになり、お互いが排除し合わないようになれば素晴らしい。なぜならもうその状況で戦争なんかの争いは起きないだろうから。

 

と言っても、ただの理想論なのは間違いない。それでも自分はこう思う。

 

大切なのは自分はどういったグループ(価値観)の中で生きるのか、それをちゃんと選ぶこと。そしてそれが誰にも当てはまるわけではないこともちゃんと自覚し、認め、互いにいい関係を保つこと。

 

例えば自分がこうやってうまくいったからって、他の人もそうだとは限らないこととか。

 

人は自分が経験したことを通して、世界を解釈していると思う。だけど自分と同じ経験をしている人は誰もいない。だからこそ、うまくいかないことがあるということを理解して、その上で生活していくことが大切なんだと思う今この頃。

 

 

参考図書

生物多様性 子どもたちにどう伝えるのか

はじめての哲学的思考  など