難しいことを簡単そうに見せるということ
先日シルクドソレイユの「キュリオス」を見てきた。素晴らしい演技はもちろんのこと、不思議な世界観のストーリー、そして要所要所に挟んでくるユーモアが様々な演技を繋ぎ合わせていて、あっという間の2時間半だった。
見てない人にはおすすめです!!
で、今回書きたいことは、後半戦に差し掛かったサッカーw杯とキュリオスとの自分の感じた共通点。
どちらも世界トップレベルのパフォーマンス。
一流のプレーであり、演技である。
そのことを十分承知で、あえて失礼なことを言わせてもらう。
「すごいけど、なんか俺でもできそう」
分かっている。そんなことできないことは分かっている。
でもなんかそう感じさせるくらい、演技者の方々は簡単そうにやってのける。力んでないというか、踏ん張ってないというか。
同じようにサッカーをテレビで見ていて時々思うことがある。
「これくらい、俺でもできる」
「俺ならこういう風にした」
あんまり言うと、なめてんのかと言われるのでこのくらいにしておく笑
(でもサッカーやってる人、やっていた人なら多少なりとも分かってもらえるのではないか?)
でも冷静に考えると、もちろんそんなことはない。
一流は難しいことを簡単に見せられるからであり、それを簡単にできると思うのは、大きな間違えである。
サッカーに例えると、試合中何度も20〜30mくらいのインサイドパスがあるけど、とても簡単そうに見える。でもそんなことはない。50cmもずれずにあのスピードで、芝生の上を滑らせるように出すのは、簡単そうで相当難しい。
トップレベルはパスがずれないなとつくづく思うし、そこの差が大きいのだと思う。
また選手がいる位置一つとったって、ボールの位置、相手選手の位置、味方の位置、またそれぞれの選手の特徴など、たくさんの複雑な要素を把握した上での、位置取りである。
あと中でプレーしている視点と外から見ている視点ではえらい違いだということも忘れてはいけない。
少し長くなってしまったが、改めて何が言いたいかと言うと、
一流は複雑で難しいことを簡単そうに見せる。でもそれは簡単なことではなく、複雑なことを理解して、またそれを反復して繰り返しやったからこそできることである。
そんな風に思うのは、最近いろんなことをわかったつもりになっているけど、ほんとは表面しか理解していないんじゃないかという気持ちになっているからなのかもしれない。
つまり本や記事で書かれたことはあくまで、読者にわかりやすいように簡単に説明されたことなので、本当の理解のためにはもっと、複雑でわかりにくいものを、時間をかけて、取り組まなければ得られないものなんじゃないかなと感じている。
それでも外からのものを意識して取り入れていかなければいけないと思うのは、本に書かれていることを、その本を読んだだけなら5%もわかっていないかもしれないが、過去のことと繋ぎ合わせたら10%になるかもしれない。
そんな風にこれが前のなにかに繋がったり、これからのなにかに繋がったりすることで、だんだん言っていることがわかると思うから。
複雑なことをシンプルに分かりやすく説明できる人になりたいと思うが、そのためには複雑なことを複雑なまま理解することがまず大切であり、やはり多くの材料を集める時間と努力が必要だ。
人生そんなに甘かない。
そんな風に思う今この頃。